哲学と音楽

 思い出すかぎり私と音楽とのかかわりは、小さい頃家にあったステレオで今で言えばイージーリスニングにあたるような器楽曲のLPを何度も繰り返し聴いていたことにはじまります。
 小学生になるとピアノをはじめ、ピアノ名曲集のLPを買ったことから、クラシックのピアノ曲をよく聴きました。まずはモーツァルトのトルコ行進曲が気に入り、ついでシューベルトの即興曲がお気に入りになりました。小学校の高学年になると自分のラジオを手に入れて、ヴィヴァルディやバッハの協奏曲や室内楽曲を聴きはじめます。
 中学生になるとベートーヴェンからはじまってバロック〜ロマン派の主要な曲を何度も繰り返して聴き、中学3年になる頃にはドビュッシーやラヴェルらフランス近代の音楽を参考に作曲も試みるようになりました。高校に入るとバロック以前の音楽(中世・ルネサンス)と現代の音楽が関心の中心になりますが、とりわけヴェーベルンの音楽に出会って、はじめて自分が書きたいことを書いている人に出会ったという思いを持ちました。また、武満徹の音楽には、日本人の先達として励まされました。
 作曲にあたって、2つの問題を感じていました。まず、作曲技法の基礎をまなぼうと音楽大学の入試用の教材(和声や対位法)を読むのですが、そこに提示されている音楽が、自分が親しんできた音楽とうまくつながらなかったことです。楽典の本に書かれていることは、いわゆる現代音楽と関係ないばかりか、ドビュッシーやラヴェルとも無関係で、それどころかバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンとも微妙に違いました。この「微妙な違い」を明らかにすることが私の今の仕事につながっています。
 もうひとつの問題は、武満徹が「西洋人の音楽にはアンサンブルがある。自分はどうしてもアンサンブルが書けない。何とかしてアンサンブルを書きたいと思っている」というような文章で書いていたことです。ここでいうアンサンブルというのはもちろん楽器編成の問題ではなく、音楽の精神にかかわることです。ソロの曲であってもアンサンブルのある曲にはありますし、オーケストラ作品でもアンサンブルがない曲があります。武満の文章に、アンサンブルという言葉を社会性と言い換えていたところもあったと思います。
 高校生のころの自分にとって音楽のおもしろさの本質は、「音楽は感覚でとらえられる世界を超えた世界とつながっている」ということでした。「感覚でとらえられる世界を超えたもの」の正体を知りたくて、一般大学で哲学を研究しながら音楽をしようと考え、文学部に進みました。


   

*中央の写真は左から順に、「現代音楽」への入り口となったヴェーベルン、武満徹、
大学で専攻した数理哲学者バートランド・ラッセル

 大学では、個人レッスンで作曲の勉強をしながら、知人を通して理学部1年生有志の「数理哲学ゼミ」に参加することになりました。
 日本の音楽と西洋の音楽を比べたとき、西洋の音楽にはアンサンブルの精神とも呼べるものがある。日本と西洋の文化を違いをみたとき、まず西洋には自然科学の文化があり、日本にはそれが生まれなかったということに気づきます。自然科学という文化がどのような土壌から生まれたのかということに興味をもって、「数理哲学ゼミ」に参加したのでした。

(改稿中)

、公共空間を発達させてきた西洋世界のみが数学や科学を生み出したことに数学や論理が西洋音楽の本質に関係があると思ったからです。友人たちと勉強を進めるうちに、西洋の学問は自然科学であれ、社会科学であれ、人文科学であれすべて哲学から生じ、哲学に根ざしていることがわかりました。そして、私が思うところの西洋音楽と多くの日本人が実践している西洋音楽との間にあるギャップが、学問の世界でも同じように存在することに気づきました。「超越的なもの」から生まれてきた西洋の学問や芸術を、日本人は実用的な技術としてのみ受け取る癖があるのです。
 探求の進め方にも大きな違いがありました。哲学は「自分の頭で考えぬく」訓練です。哲学が根本にあるということは、先人の業績は無視できないにせよ、最終的な判断基準は「自分の頭」だということです。当たり前のことのようですが、高校までの教育ではそのことが身についていませんでした(周囲の日本人をみわたすと、私の中学・高校時代の環境は相当リベラルだったのですが)。
 音楽を理解するためにはじめた哲学の研究ですが、2年になると哲学研究(特に数学と論理学の哲学)に没頭して音楽はおろそかになってしまいました。数学や自然科学の文化伝統がなかったということと日本人の音楽の構造が弱いということが同じ根から発しているように思えました。その根を明らかにしたかったのです。結局、大学院にまで入って勉強することになりました。
 日本人の音楽の構造の弱さ、「超越的な存在」が感じられないこと、アンサンブルにならないこと、これらの原因となる日本人の文化的伝統がわかってきました(これについては、本稿を少しずつ拡大したり、ブログのなかで書いていきます)。
 しかし、それで自分がどうするかという問いに、大学院での哲学研究は応えるものではありませんでした。「哲学研究」はできても「哲学」は出来なかったのです。音楽を職業にしなければ「音楽の哲学」はできないと思いました。

(この項続く)

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