なぜバイエル?

歴史的背景

 20世紀後半の日本では、ピアノのレッスンと言えば、バイエル、チェルニー、ブルグミュラー、ソナチネなど定番(ただし、日本のみの定番)の教材に即して行われるのが主流でした。これらの教材は欧米でピアノ学習者が急増した19世紀の中頃に制作されたものです。それ以前は宮廷や教会の音楽家が、貴族やお金持ちの子弟、音楽の才能の目立つ子たちにレッスンをするだけだったので、教材はたいがい手書きで、先生の自作や有名な作曲家の曲を五線ノートに書きこんでいくというスタイルでした。(下はバッハが長男の教育のために書いた音楽ノート)

 19世紀になって初心者用の印刷教材が登場してきた背景には、産業革命で市民階級が台頭してきてピアノのレッスンをうける子どもの数が急激に増え、熟練した先生が足りない状況が生じたという背景があります。独習できる、あるいはそれほど熟練した音楽家でなくても教えられるようなメソッドが必要だったのです。そのために、この時代のメソッドは数多くの課題を段階をおって機械的にこなすスタイルでした。

 19世紀も後半になると、このような機械的なメソッドに対する反省の気運が高まり、19世紀末から20世紀前半にかけて、ピアノ教授法についての本が数多く書かれました。それらは、ピアノ演奏の身体的基礎についての科学的考察、無理のない学習法についての心理学的洞察、創造力を引き出すアイデアなどに焦点をあてたものでした。

 一方、日本では1868年の明治維新を経て、西洋音楽の導入がはじまりますが、そのさい参考にされたのは19世紀前半の機械的なメソッドでした。熟練した先生が圧倒的に不足していたことを考えると、その後の欧米での教授法改革にもかかわらず、古いメソッドが日本で生き残った理由がわからないでもありません。新しいメソッドでは教師の音楽家としての、また教育者としての力量が要求されています。

バイエルの問題点

 バイエルは19世紀中頃の教材ですから、その後の音楽の変化には対応していません。バイエル学習者にありがちな問題として、ドビュッシー以降の音楽について、「音が合っていない」と思ってしまうようです。「音が合っていない」と思うということは、「どこに焦点をあわせて聴けばよいのかわからない」ということです。ドビュッシー以降ということは実質的に20世紀の音楽のほとんどすべてについて聴き方がわからなくなる危険があるということです。実際、ピアノ学習者で近現代の作品に拒否感がある人をよく見かけます。また、「バイエル程度で弾ける」と書かれたポピュラーの楽譜に、和音やリズムのセンスがおかしい、あるいは端的に間違っているものがとても多い理由もここにあるかもしれません。

 もうひとつの問題は、あまりに機械的なメソッドで創造性の芽を摘む危険があることです。実際、ピアノを習う前は即興や作曲を楽しんでいたのに、バイエルを学習するうちに、それらの能力を失う例を見聞きします。これは、教材の問題と言うより先生の力量の問題のようですが、バイエルの音楽が現代人の音感とかなりずれてきているので、創造性を刺激しないという問題も大きいと思います。

それでもバイエルが生き残る理由

 それでもバイエルが日本で生き残っている(欧米では完全に忘れられた教材です。ちなみにチェルニーは使われています)からには、何らかのメリットがあります。
 まず、先生に音楽的な力量がそれほどなくても、生徒にある程度の才能、頭のよさ、勤勉さがあれば、一定の効果をあげることができます。現実的にはこの要素は大きいでしょう。ただ、その引き換えとして、創造性は損なわれる危険があります。
 また、日本では使っている人が多いので、何らかの基準として役に立つことがあります。
 最後に、もしピアノ学習者の目標が18世紀末〜19世紀初頭の音楽(ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなど)のみで、先生に力量があって楽譜を表面的になぞるだけでない音楽的なレッスンを伴うのなら、案外使える教材です。

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